映画「ショーシャンクの空に」大好きな映画!私の心を支える映画☆ジャック・ダニエル☆

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シャチノート映画農園しぼり
濃縮された味の記事をお届けするために、管理が行き届き、嬉しい時、イライラする時、悲しい時、楽しい時などの喜怒哀楽全ての感情を持っての視聴後、日本語字幕、日本語吹替、英語字幕、字幕なしで見る工程から出た感想だけをしぼりました。

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一文字一文字丁寧にタイピングしてるつもりですが、飲酒しながらのハンドメイド記事のため、記事内容のバランスがとてつもなく不安定な場合がございます。

記事内の誤字脱字、話の脱線の際は予めご容赦くださいませ。何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m

それでは、どうぞ!ジャック・ダニエルと共にお送りします。

☆映画「ショーシャンクの空に」大好きな映画!そして、私の心を支える映画☆

今回は、映画のストーリーの紹介メインの記事ではありません。

この映画の感想メインになります。

「ショーシャンクの空」という映画。世界中のおすすめの映画ランキングで常に上位に食い込んでる映画です。日本の映画関連の記事にも溢れています。他の素晴らし方々もこの映画について書いています。私なんかその方々の足元にも及びません。気になった場合は、「ショーシャンクの空に」と検索して、そちらの記事もお読み下さい。そして、この映画に手を伸ばして頂ければ幸いです。もちろんこの記事を読んで興味を持ってもらえれば、嬉しい限りです。

予告編

The Shawshank Redemption – Trailer

軽く映画紹介。
映画「The Shawshank Redemption(ザ・ショーシャンク・レデムプション)」

この「Redemption(レデムプション)」という単語、神学的な意味で罪の贖い、贖罪、約束や義務的な意味での履行や補償、金融的な意味で、償還取り戻し、受け戻し、買い戻しなどの意味があります。

そして、邦題「ショーシャンクの空に」

原作は「Stephen・King(スティーブン・キング)」の小説「Rita Hayworth and Shawshank Redemption(リタ・ヘイワース・アンド・ショーシャンク・レデムプション)」です。邦題は「刑務所のリタ・ヘイワース」です。

その原作を元にした映画の脚本は、この映画の監督でもある「Frank Darabont(フランク・ダラボン)」です。

このフランク・ダラボンさん、この時が映画初監督で、再び、スティーブン・キングの小説を原作とした映画「The Green Mile(グリーン・マイル)」や「The Mist (ミスト)」などでも監督を務めていいます。

キングさんとフランクさんが組む時は映画好きとしては要注目です。それ以外にも「Saving Private Ryan(プライベート・ライアン)」や「Collateral(コラテラル)」そして「The Walking Dead(ザ・ウォーキング・デッド)」など数々の作品に脚本や制作に関わっています。

この映画の内容としては、無実の罪でショーシャンク刑務所に入れられた元銀行員のアンディが、決して希望を捨てず、刑務所の中で生き抜いていくヒューマン・ドラマです。

おすすめです!

そして、映画紹介はここまでです。

以下、ネタバレを含みます。この映画への思い、感想です。

それでは、書きます。以下は、本当に、多いなるネタバレを含みます。
映画をご覧になっていない方はご注意下さい。

感想です。

私の心を支える映画です。

もう何百回も見てます。

人生で一番見た映画でもあります。

闘病生活を送っていた伯母が見続けていた映画でもあります。

20代の時、そんな伯母が「辛い時、この映画見ると励まされるよ。希望って大事だよ」と、薦めてくれた映画でもあります。

そんな私は、大昔、高校の授業で見たのがこの映画との出会いになります。

まだまだ、子供だったかなと言える高校時代、それでも、その時のこの映画を見た直後の感想は「スゲーイイ映画」

良い映画だから高校の先生も授業でこの映画を見せてくれたのだろう。

そんな高校の時の感想を付け加えるならば、「アンディー!ホンマによくやった。ホンマによく耐えた。お疲れ!」

しかし、人生を歩むとその感想が、変わります。

「アンディーさん。本当にお疲れ様です!本当によく辛い時期耐えましたね。自分なんかの精神力では到底足元にも及ばないです。尊敬致します。残りの人生しっかり楽しんで下さい。そして、弟子にして下さい」

「凄い良い映画だ」と。

この映画を伯母に薦められた時は「知ってる!高校で見たよ」とたわいも無い会話で終わったが、今思うと、しっかりと「ありがとう」と言っておけば良かったなと思う。もっともっと「ありがとう」と言って、もっとこの映画について聞けば良かったなと思う。もっとこの映画について話せれば良かったと思う。
人生を歩むに連れて、この映画から受け取るメッセージが重くなる。本当に良い映画。

そんなことを考えてると、惜しいなと思ったシーンがあります。アンディーが尖ったピックで囚人達に襲われるシーンです。高校の授業で見たと言いましたが、そのシーンに思春期の高校生達はざわめき、ちゃかし、気まずくなりました。そのシーンがなければ、もう少し押さえた描写であれば、さらに年下の中学生などにも見せれるのではとも思いました。

だが、私の考えは甘いことに気付く。
冷静に考えるとあの暴力シーン達は映画ではかなり押さえられていたといえます。あれで、マシな方だと。あれで、レベル1の表現だということに気付きます。映画では描写していない様々な刑務所内の苛烈なシーンをさらに想像していまうだけで、最後のシーンのアンディーを見る目も変わります。さらなる尊敬の意が沸いてきます。

大人になれば、子供の時より、辛い時期が長く続く。長期的な問題に向き合い続けなければならないということだろうか。

時間という重みを考えれば考える程、どんな辛い時でも、時には潰れそうになったけど、それでも、希望を持って前向きに生きようとしていたアンディーの人間性が輝く。

時間で見てみる。
アンディーが入所してから、囚人達に襲われ続け、屋外の刑務作業で刑務官の信頼を得て暴力から解放されるまで、2年間。

この頃からリタ・ヘイワースのポスターを壁に貼ります。

刑務所の図書係になり、市に図書室の予算を求めるために週一回書き続けた手紙、6年間。

その6年間描き続けた手紙のおかげで遂に州議会から本やレコードが送られてきます。

そして、そのレコードを刑務所全体にレコードを流して懲罰房に入れられた時点で10 年目。

入所してる間にアンディーが歳をとって、老化していくシーンも描かれている。

この頃からアンディーは、老眼鏡を持ち歩くようになります。

この10年目から壁のポスターは「Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)」です。

地下鉄の通気口からの風でドレスのスカートが吹き上がり、はためかせてるあのシーンのポスターです。
そして、映画では描写なかったですが、そこから一気に8年の月日が経ちます。

18年目にトミーが入所してきます。あのブラッド・ピットが演じると言われてたかも知れないというトミーというキャラクターです。

そして、その18年目、トミーが入所してから1年間トミーに高校資格を取らせるためアルファベットから教え込みます。

その頃には、岩壁に囲まれた女性「Raquel Welch(ラクエル・ウェルチ)」のポスターが。

そして、クライマックスへ。

なんと合計19年。

無実の罪で刑務所に収監されて19年。

1年365日✖️19=6935日

1日24時間✖️ 6935日=166440時間

60✖️166440時間=9986400秒

アンディーはその時間、常に希望を持ち続けていた。

そう考えると私の悩んでる時間なんて、ちっぽけだ。アンディーに比べれば、いかに私は自由で恵まれているかを感じる。

自由にどこでも行ける。

可能性は無限だ。

19年間の悩み、問題、19年間抜け出せないかのような状況は私はまだ、経験していない。この映画を見るとまだまだ私の悩みは本当にちっぽけだと思ってしまう。冷静にもさせてくれる。刑務所の壁をコツコツと削っていった私の小さなロックハンマーは何になるんだろうかと冷静に考える。チャレンジする時は、何でも小さなことからコツコツと始めて見る。継続大事。このブログもそうだ。何でも投げ出してしまいがちな自分には、この映画はもの凄く効いている。時間がある時は、この映画をBGMで流していることが多い。高校で見て以来、初めてこの映画を見返した時は、日本語吹き替えだったと思う。それが、日本語字幕になり、日本語字幕も覚えてくると、英語字幕にする。英語字幕に慣れてくると、字幕なしで見る。今の英語と共にする生活に生きていると思う。声にもその俳優の演技力がもの凄く詰まっている。そんなことにも気付かされてくれた映画だった。

アンディーはレッドに呟きます。
「レッド。私は運が悪いな。不運は誰かの頭上へ舞い降りる。そして、今回は私の番だった。油断してたせいかな?不運がこれほど恐ろしいとは」

無実で刑務所に収監されて、絶えて絶えて絶えて絶えて絶えて絶えて19年間。

そして、最後の海辺のシーン。

何回見ても最高です。

人生の壁にぶち当たった時、それでも頑張って、忙しい生活をするか、死ぬことに忙しいか。

「Get busy living or get busy dying(ゲット・ビジー・リヴィング・オア・ゲット・ビジー・ダイイング)」

「必死に生きるか、必死に死ぬか」

私の心を支えるセリフです。

以上です。ありがとうございました。

原作の小説の方も読みました。

小説も良いです。ただ、この話は、映画になることで小説を超えてきたと思います。映画の脚本も良い!

アンディー役に「ティム・ロビンス(Tim Robbins)」
相棒のレッド役に「モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)」

この2大巨頭は、小説のストーリーを遥かに超えるのに花を添えたと思う。

邦題も素晴らしい「ショーシャンクの空に」

最高ではないか。

以下おまけです。

アンディーがロックハンマーを挟んでいた聖書のページは「EXODUS(エクソダス)のページです。「脱走」という意味があります。アンディー粋ですね。

この映画の最後のシーンでは「IN MEMORY OF ALLEN GREENE(イン・メモリー・オブ・アレン・グリーン)」と表示されます。

このアレン・グリーンさん、映画制作中に不幸にもお亡くなりになってしまった監督の親友だそうです。なので「アレン・グリーンを偲んで」という追悼の意が表明されています。

モーガン・フリーマンの息子も出演しています。若かりしレッドの収監時の写真です。度々見かけたレッドの逮捕時の書類の写真は息子のアルフォンソの写真です。そして、このアルフォンソさん、チョイ役でも出演しています。映画の冒頭アンディー達がバスに乗せられて刑務所に送られてきます。その時、バスから降りてきた新入りの囚人を真っ先に「ヘーイ(よう)フィッシュ(新入り)!」と、からかっているのがアルフォンソです。「Hey(ヘーイ)fish(フィッシュ)come on(カモン)fish(フィッシュ)と結構ファンキーなノリでからかってます。

この「fish(フィッシュ)」という単語、魚という意味ですが、刑務所で新入りに対して使われる単語です。由来はというと、陸に打ち上げられた魚です。想像して見て下さい。陸に打ち上げられた魚の挙動を。魚は普段水の中を泳いでます。それが、違う環境である陸に上がると普段通りに振る舞えません。バタバタとします。そのバタバタとした様子が、慣れない環境にやってきて、ぎこちない動き、ソワソワしている、場違いな新しい環境に戸惑う様子の新人を表しているということで、そんな新入りに対して「fish(フィッシュ)」と使われ、新人をそう呼ぶ様になっていったみたいです。

アンディーがオペラのレコードを刑務所全域に流すシーンがあります。

そして、その音楽に囚人達は動くのを止め、立ち尽くし、ただただ、その音楽に耳を傾けます。

何度あのシーンに酔いしれたことか。

その音楽を聴きながらレッドは、呟きます。「俺はこのイタリアン女性が何を歌ってるか分からない。実は知りたいとも思わない。知らない方がいいことだって世の中にはある。ただ、よほど美しい内容の歌なんだろう。心が震えるぐらいの。そんな豊かな美しい歌声が我々の頭上に優しく響き渡った。そして、短い間だが皆が自由な時間を味わった」と。

所長や鬼刑務官が今すぐ音楽を止めろと怒る中、アンディも音楽を止めるか一瞬躊躇しますが、その後全力のドヤ顔でボリュームを上げていきます。

その後、懲罰房に打ち込まれてから出てきたアンディは、食事のシーンでみんなに語る。

「心の豊かさを失っちゃダメだ。どうしてって人間の心は石でできてるわけじゃない。心の中には何かがある。誰も奪えないある物が、それは希望だ」と。

アンディの刑務所生活に置いての密かな楽しみは、石工芸である。石を磨いたり削ったりして、綺麗な輝く装飾品と化している。この物語は、全体を通して、「この人間の心は石でできてるわけじゃない」というセリフにかかっているのではないかと思う。石を磨く=心を磨く。希望を持って。刑務所の壁も石と言える。

そして、話を戻すと、アンディがかけたあの曲。レッドが「何を知りたいとも思わない。知らない方がいいことだって世の中にはある。」と言ったあの曲。レッドには悪いですが解き明かします。

あの曲は、モーツァルトの「フィガロの結婚」の「手紙の二重唱」のパートである。

失礼ですが、この場は物凄く雑にこの物語を訳します。非常に練り込まれた物語なので、この記事で興味を持たれたなら、オペラ作品の方に手を伸ばして頂ければ幸いです。

シリーズ物で、入り組んだ物語なので、もの凄く雑に話すと、この「フィガロの結婚」は、フィガロとその上司の伯爵、伯爵夫人、そして、伯爵夫人の召使いであり、フィガロの愛する女性スザンヌのドタバタ物語です。伯爵は権力を行使してフィガロからスザンヌを奪おうとします。そして、フィガロ、伯爵夫人、スザンヌは協力して何とかそれを阻止し、伯爵を改心させようとします。

このパートは伯爵夫人とスザンヌによって歌われるパートになります。その内容には手紙が出てきます。

どうぞこの動画をご覧下さい。日本語字幕付きがありました。

Gundula Janowitz & Lucia Popp – Sull' Aria – Le Nozze Di Figaro 手紙の二重唱

スザンヌは、伯爵に手紙を書きます。「松の木の下で、あとはお分かりに」

しかし、実際には、暗闇の中、松の木の下で伯爵夫人がスザンヌの衣装で待ち伏せし、伯爵の不正を正そうとします。

手紙、木の下で、これだけで私と同じく「ショーシャンクの空に」を何回も見てる人ならお分かりになるはず、この歌は物語全体にかかっています。アンディは手紙を駆使して上司である所長の不正を手伝うこともあれば、最終的には、手紙にて所長の不正も正そうとします。

懲罰房から出てきた時、仲間に聞かれます。

仲間「懲罰房どうだった?」

アンディ「音楽ずっと聴いてたから大丈夫だ。」

仲間「マジでか?てか懲罰房でレコードプレーヤーで音楽聴くの許されていたのか?」

アンディ「まさか、頭の中で聴いていた」

あのドヤ顔にも納得です。希望を曲を流し、懲罰房という誰もが困難という状況にも、頭の中には希望の曲が流れていたから、余裕だったのか。本当に希望を持って生きる人間は強い。そんな描写が見て取れます。

あのシーンはその後の全ての展開を暗示していたように思う。

そして「木の下」で。アンディが結婚を申し込んだのも木の下です。そして、レッドに向けた手紙は木の下の近くの塀の黒曜石という石の下に埋められていました。

アンディも質問をするレッドに言っています。この歌の「松の木」ではなく映画では「Oak(オーク)」の木でしたが「木の下で、後は分かる」と。

「Oak(オーク)」は日本語で歌詞の木です。そして、「Oak(オーク)」の花言葉は、「自由」 「誠実」「長寿」「勇気」「独立」「歓迎」「保護」「道徳心、人間らしさ」などです。

最後にアンディが自分の房の壁に貼っていた女性の写真は岩に囲まれている。

アンディーは石で下水道のパイプを破る。

そして、川で見つかったのは、ロック(岩)ハンマーと、すり減った(石)けんである。

はい、考えすぎですね 笑、

おまけも以上です!

見れば見る程、新しい発見がある。そんな映画です。

読んでいただきありがとうございました!

モーツァルト「フィガロの結婚」「手紙の二重唱」収録アルバム

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